外城制度

1615年徳川幕府は、武家諸法度を制定し、一つの藩に一つの城しか認めないという、一国一城制を敷いた。このため各藩では、戦国時代以来の外城を廃止し、武士を城下町に集めて住まわせたが、薩摩藩では、そのまま従来の外城のあった麓に住まわせて、半農半士の生活を送らせた。(郷士という。)
城は無くしても軍事組織はそのまま残し、「人をもって城となす」という政策をとったのです。
このような郷士の分散配置に当然幕府は疑問を持ったが、これに対し薩摩は、「かつて島津氏が九州を制覇した頃の武士人口をその後薩摩藩に引き入れた。一箇所に住めないので分散して居住している。」と答えたという。実際薩摩藩は、士族の数が全体の約26%、平均は6%だった。
この外城制度は、対外的には、中央政権との対決に備えるもの、対内的には、農民統治、一揆対策のための役目を果たした。